皆さんおはようございます。
12月の末、皆さんの先輩であります高等部5年生の萩原煌貴さんがピアノコンクール・ブルグミュラーコンクールのファイナルで金賞を受賞しました。すごいことですね。萩原さんは朝礼の時に校歌などの演奏をいつもしてくれていましたので3年生の皆さんはよく知っていると思います。そんなこともあり、今日は音楽の話題から入ります。知っている人が大勢いると思いますが、オーケストラの指揮者で小澤征爾さんという国際的にも有名な指揮者がいます。昨年の2月に亡くなりましたので、亡くなって1年少し経ちます。小澤さんの家は音楽好きな一家で小さい頃、お父さんが戦後間もなく大変貴重で高価なピアノを趣味にしていたカメラなどを売り払って親戚から譲ってもらったそうです。それを兄さん二人が横浜から立川までリヤカーで3日かけて運んだそうです。家族みんなでピアノを使う予定でしたが、三男の小澤征爾さんがほとんど毎日使い練習を重ねピアノの力をつけてきたそうです。小澤さんはピアニストを目指していたのです。高校に入って小澤さんはラグビー部に入ります。両親は反対で小澤さんは隠れてラグビー部に所属したのですが、ラグビーの魅力に引き込まれて熱心に練習に取り組みます。ところが、ある日雨の日の試合中に指を骨折し、ピアノができなくなってしまいます。ピアニストを目指して、励んできたのにピアノができなくなるのです。そこで普通なら音楽の道は諦めてしまうのですが、ピアノの先生からピアノはできなくても指揮者になる道はあるよと教えられ、齋藤秀雄という指揮者の指導を受けるようになります。頭角を表し、更に実力をつけるためにフランスへ国費留学の試験を受けるのですが、フランス語をあまり勉強していなかったために、不合格になってしまいます。それでも、諦めずに次の方法を考えます。渡航のための費用の寄付を集めたり当時スクーターという乗り物が売れていたので、その会社に掛け合って1台頂き、スクーターを持ち込んで貨物船に乗り、フランスへ向かいます。貨物船はスエズ運河から地中海を通りマルセイユに着くのですが、その先のパリまで約800Kmをスクーターで走破したそうです。そこで、ブザンソン指揮者コンクールに応募しようとしたのですが、締め切り期限を過ぎてしまいます。しかし、それでも諦めません。日本大使館へ行き、参加を交渉してくれるよう頼みますが、そっけない返事。それでも諦めず、次に、アメリカ大使館で交渉したところ、対応してくれた人がブザンソンの事務局に連絡してくれた結果、参加を認めてくれたそうです。参加してもその他大勢と考えたのかも知れませんね。しかしブザンソン指揮者コンクールで、東洋人で初めて小澤さんは優勝してしまいます。その後、人種差別など様々な苦難に遭いますが、指揮者としての活動を続け、ボストン交響楽団の音楽監督に就任、ニューヨークフィル、ベルリンフィルやウイーンフィルなどでも指揮をして、国際的に有名な指揮者となります。小澤さんの経歴を見ますと、ただ才能に恵まれたというだけでなく、自身の実力を高めることの他にも、本当に多くの試練に耐えて努力を重ねてきたことが伺えます。さて皆さんはどうでしょうか。皆さんの中には他の人にはない優れた才能を持った人が大勢いると思います。いや、全員が他の人にはない何かの才能を持っていると思います。多くの場合それに気づいていないだけです。気づいても、その才能を伸ばすには多くの難関が待っています。その難関を乗り越える勇気とそれに立ち向かう気力と自信があるかどうかだけだと思います。簡単に成功した人はいません。成功した人は皆、諦めることなく、次に何ができるか考え、行動を起こし努力を重ねた人であります。皆さんにも大きな関門が待っています。努力が大きいほど成果も大きいことを自身に言い聞かせ何事にも挫けずに努力しましょう。
朝礼 学校長講話(2月10日)